「昭和の大修理」以来の本格的修理
その優美な姿は、JR姫路駅を出るとすぐさま視界に飛び込んできます。標高45.6mの姫山に立つ姫路城は、3月27日のグランドオープンを目前にして素屋根がすべて取り払われ、修復工事もほぼ大詰めを迎えていることが分かります。天守群が複雑に組み合わさった造形は、新たに塗られた外壁と屋根の漆喰の白さとあいまって、まさに“白鷺城”と呼ぶにふさわしい風格です。
「昭和の大修理」(1956[昭和31]〜1964[昭和39]年)から半世紀ほどを経て、大天守の屋根や漆喰壁、上層部の軒、ひさしの傷み・汚れが激しくなってきたため、2009(平成21)年から5年半かけて大規模な保存修理工事が行われてきました。今回の修理工事の内容やポイントについて、姫路市役所産業局姫路城総合管理室課長補佐の小林正治さんに説明いただきました。
「城を覆っていた大きな箱がまだ記憶に新しいことでしょう。あれは素屋根といって、修復中の城を風雨から守るものです。その前に、素屋根をつくるための作業台(構台)が必要です。さらにその前に、構台をつくるための基礎がいるのですが、地面も特別史跡の一部なので、地面に直接杭を打てないため、まず地面に土台をつくらねばなりませんでした。こうしてやっと素屋根を完成させて初めて城の修復にとりかかることができるのです」。工事費の実に約6割がこの仮設部分ということですから、世界文化遺産ともなると、いかに前準備が大変であるかがうかがえます。
塗り替えられた屋根と壁の漆喰が白さを際立たせる
「修復の最も大きな部分を占めたのが屋根瓦のふき直しと漆喰の塗り替えです。漆喰は外壁だけでなく、屋根の瓦を固定する目地にも使われています。実際、外観の印象にも大きな影響を与えました」と小林さんの言うとおり、修復されて再び私たちの目の前に現れた姫路城は、壁も屋根も真っ白です。漆喰が劣化してくると、黒カビが生えて色が黒っぽくなったり、屋根目地が部分部分ではく落したりして、見栄えと安全性ともに問題が出てくるため、こうしておおよそ50年に一度、大がかりに塗り替える必要があるのです。
「昭和の大修理」でも漆喰の塗り替えが行われました。だから当時も修理直後は真っ白だったのです。経年変化で白い漆喰が黒っぽくなり、屋根目地も瓦と似た灰色に変色していきました。瓦自体が白いわけではありません。従って前回の修復直後の姿を知らない人々にとっては、見たことのない白さ。「なぜあんなに白いのか。違和感がある」と電話がかかってくることもあるとのことでした。
「歴史的な文化財は、もともと使われていた同じ材料、同じ工法で修復しなければならず、当然姫路城もそのように修復が繰り返されてきました。今の姿はまさに築城間もない姿といえましょう」
漆喰塗りは職人16人がかりで計7,500m2を、瓦のふき直しは10人がかりで計2,060m2を行いました。瓦の総枚数は約7万2,000枚。すべて撤去して1枚ずつ破損状況をチェック、今回約1万6,000枚を新しく焼きました。瓦は一番上の屋根だけでも約1万枚です。重量は40〜50tと、屋根を支える壁が変形するほどになるため、壁の漆喰は屋根の修復を終えてから塗る必要があります。こうして屋根と壁をバランスよく施工していくわけです。
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