けんざい240号掲載
旧桜宮公会堂 明治維新後、新政府は新たな貨幣制度を整えるために、統一貨幣の製造工場として造幣寮をつくりました。187(1明治4)年に竣工した造幣寮は、わが国最初期の本格的な西洋式の大工場群。現在も残る旧桜宮公会堂の正面玄関は、工場群の中心的存在、鋳造場のファサードでした。そして、重要文化財となった正面玄関を従えた旧桜宮公会堂は、メモリアルな結婚式場となって今春再生を果たしました。
「けんざい」編集部
明治維新後、新政府は新たな貨幣制度を整えるために、統一貨幣の製造工場として造幣寮をつくりました。187(1明治4)年に竣工した造幣寮は、わが国最初期の本格的な西洋式の大工場群。現在も残る旧桜宮公会堂の正面玄関は、工場群の中心的存在、鋳造場のファサードでした。そして、重要文化財となった正面玄関を従えた旧桜宮公会堂は、メモリアルな結婚式場となって今春再生を果たしました。 「 けんざい」編集部 ■重要文化財の明治建築が結婚式場になった 河畔に桜並木が美しく咲き誇る大川のほとり、約6,000uの広大な公園内に、旧桜宮公会堂があります。国指定の重要文化財である正面玄関は、明治時代の名建築。青の竜山石を使った6本のトスカーナ式列柱が、明治初期のロマンの香りをただよわせます。すっきりとした直線的な三角形を持つ切妻造りの屋根を、特徴的な軒蛇腹(のきじゃばら)が支えています。 アーチ型の重厚な玄関戸から、真っ白なドレスに身を包んだ花嫁が現れました。旧桜宮公会堂はリノベーションによって、今年4月から結婚式場として再生を果たしたのです。大阪市が所有するこの敷地と建物を借り受けているのは、東京のウェディングプロデュース・レストラン運営を手がける株式会社ノバレーゼ。同社営業本部店舗開発ディビジョン・マネージャーの小桜和彦さんにお話をうかがいました。 「今回のリノベーションでは、もともとのつくりをそのまま生かして、内部を披露宴会場や挙式スペースに改装しました。待合室は新たに増築し、日本庭園も再生しました。正面玄関部分は重要文化財なので一切触れず、143年前のままの姿です」。 ■設計は泉布観も手がけたお雇い外国人・ウォートルス この正面玄関は、1871(明治4)年に建てられた造幣寮(現造幣局)のファサードでした。造幣寮を設計したのは、アイルランド出身のお雇い外国人、トーマス・ウォートルス。すぐ隣に見える泉布観(重要文化財)もウォートルスの手によるものです。 「造幣寮解体の際、ファサードだけは保存されていました。そして1935(昭和10)年に完成した明治天皇記念館の正面玄関として移築されたのです。コンサートや式典などに利用されていた明治天皇記念館は戦後、1948(昭和23)年に桜宮公会堂となりました。以降、図書館やユースアートギャラリーなど用途の変遷を経て、2007(平成19)年にとうとう閉鎖されてしまいました」。重要文化財でありながら、用途もなく放置され、ただ古くなっていくだけの旧桜宮公会堂。 「大阪市は、民間の力を借りてこの歴史的財産を有効活用する方針を打ち出しました。そこで私どもが名乗りをあげたわけです。すでに同様のリノベーションを6件手がけた実績もありました」と、小桜さんは再生の背景を語ります。 「リノベーションのコンセプトは、歴史を感じさせる重厚感と様式美を生かしつつ、非常に現代的なデザイン感覚を取り入れた“新旧の融合”です」。 古い設計図は残っていたものの、当時の用途や内装デザインなどを知る資料・文献が一切消失していたため、昔の姿を再現するのは困難でした。「おそらくこうだったろう」というイメージを膨らませながらの復元作業だったそうです。 120人を収容する1階の披露宴会場は、過去の改修工事によって覆い隠されていた装飾天井やステージが、当時のまま復活しました。大きなアーチ窓も、78年前の竣工当時のもの。このクラシック感と、新たに取り入れられた調度やデザインとのバランスが見事です。 女性のあこがれの場所、チャペル。そこに足を踏み入れると、これまで見たことのないような世界が広がっていました。壁、床、天井、全面がすべてガラスキューブです。その数9,000個。「もともとこの部屋には大きな天窓があり、その採光性を生かしたかったのです。強度の問題は、構造を工夫してクリアしました。外からは見えませんが、ガラスキューブを接合している白い目地の中に構造材が張り巡らされているんですよ。ここは設計者も苦心した部分です」と小桜さん。あふれる光と限りない透明感、一生に一度しか味わえない、まさに特別な時間と空間です。
旧桜宮公会堂/
所在地:大阪市北区天満橋1-1-1 TEL:06-4795-7272 URL: http://www.novarese.co.jp/