けんざい236号掲載
竹中大工道具館 子供のころ、大工さんが持つ数々の道具は、まさに驚異の的でした。重いカンナをどう引けば、紙より薄いカンナ屑が出せるようになるのか。ノコとノミをどう使えば、すき間なくはまるホゾとホゾ穴を作れるようになるのか。普通のカナヅチでさえ、大工さんの道具には不思議なオーラがありました。そんな大工道具の殿堂が、神戸市元町にあると聞き、早速うかがうことにしました。 「 けんざい」編集部
○住宅街にたたずむ、白亜の博物館 神戸市元町、兵庫県庁にほど近い静かな住宅街の中に、竹中大工道具館は静かにたたずんでいました。格子窓のある真っ白な壁面に黒瓦の屋根を載せた外観は、今でも古い街で見かける蔵のイメージ。館正面には、古代の技法そのままに仕上げられた法隆寺金堂の素木の柱(復元)が、堂々たる重量感でそびえています。 重厚な黒瓦葺きの庇をくぐり、「極める」をテーマとする1階に入ると、そこはまさに超一級の大工道具の殿堂。名人をうたわれた道具鍛冶、棟梁たちの逸品が、照明の中に浮かび上がります。手入れの行き届いたノミやカンナの刃先は、日本刀のような鋭さです。 フロア中央にそびえるのは、法隆寺五重塔の20分の1木造模型。現代の宮大工の第一人者、小川三夫棟梁が修業時代に同輩と組み上げたもので、細部の木組みから仕口まで、精密に再現されているそうです。簡潔で力強く、バランスのよいプロポーションは、日本の大工技術の原点ともいえそうです。 「本物の五重塔の大修理の際、庇の瓦を取り除くと、垂木が1mほど上に戻ってきたそうです。最初から上に反った部材を選ぶことで、木の反発力を生かしたわけですね。一本一本の木のクセまで見抜く眼力と、高度な技を併せ持っているのが、日本の大工なのです」。 にこやかにそう解説してくださったのが、同館の赤尾建藏館長。長年、竹中工務店で設計部長をされ、大工の技術や歴史にも詳しい建築のプロです。 「古代から近世、近代にかけて、日本の木造建築は世界有数の技術と美意識を誇りました。この建築文化を支えたのが、すぐれた目と手を持った大工たちであり、彼らが使った大工道具です。竹中大工道具館の趣旨とは、そうした道具の収集・研究を通じて、日本の建築文化を支えてきた職人たちの世界に光を与えること、その技術と精神の粋を後世に伝えることなのです」。 ○消えゆく宿命の大工道具を「動態保存」する 株式会社竹中工務店の企業博物館として竹中大工道具館が生まれたのは、1984(昭和59)年7月。場所は、同社にとってゆかりの深い、最初の本社所在地です。 「戦後、日本の建設現場に電動工具が普及すると、昔ながらの大工の技術と道具はみるみる衰退していきました。このままでは、先人たちが鍛え上げた日本の建築文化が消滅しかねない──そんな危機感を抱いた当社の竹中鍊一会長(当時)が、創立85周年記念事業の一環として創設したのが、この博物館です」。 古今東西の大工道具を収集・保存する博物館は、日本では唯一、世界でも少数にすぎません。計画に取りかかった関係者は、肝心の展示品が全国的にもきわめて少ない事実に驚いたといいます。最初の1万点を収集するために要した歳月は、実に5年間。苦労した理由の一つは、大工道具特有の事情でした。 「刃先がちびて、最初の3分の1、4分の1になったノミも珍しくありません。いいものほど徹底的に使われ、消えていくのが、職人の道具の宿命なのです」。 そんな厳しい事情にもかかわらず、同館では開館後も精力的に道具の収集を続けてきました。今、その所蔵品は、国内国外合わせて約28,000点。しかも、展示品約1,000点を含む約18,000点は、いつでも使える「動態保存」の状態が保たれています。「美術品でなく実用品である大工道具は、使える状態で保存されるべき」というのが、同館の方針なのです。 「貴重な道具を動態保存するために、当館では収蔵品を5ランクに分類。最上級の品々は、宮大工の経験を持つ専門研究員が砥ぎや磨きを行っています」。一方、普段使いの道具のメンテナンスを担当するのは、元大工さんなどの館外ボランティア。皆さん、楽しみながら大事に手入れをされるそうです。 ちなみに、数多い来館者の中には、展示品の砥ぎだけを見に来る人もいるのだとか。並んだノミの刃先だけを食い入るように見て、さっと帰るのだそうです。 「元職人さんだと思いますが、大工道具館の腕前を確かめておられるのでしょう。砥ぎを見れば、その職人の腕が分かるといいますから」。そう語る館長の笑顔がひときわ印象的でした。 ○大鋸(おが)の登場が変えた日本の大工技術 お話をうかがった後、館長ご自身の案内で館内を見学しました。最初に向かったのが、3階の「伝える」フロア。古代の鉄器渡来、中世の大鋸(おが)導入、明治期の大工道具の変化など、日本の大工道具の歴史と世界の道具との比較が、実物と映像で展示されています。日本の大工道具の大半が法隆寺の建立当時に出そろっていたこと、二枚刃のカンナや四角い両刃ノコ、ネジの原理で穴をあけるドリルなどが明治以後の道具であること、「合理的に、早く、楽しく」を求める西洋の大工道具と「極める」を目指す日本の大工道具の違いなどが、一目で分かります。 中でも驚いたのは、中世に導入された製材用の大型ノコ、大鋸(おが)が、日本の大工技術を大きく変えたという話。それまでの大工は製材工(木挽)も兼ねており、スギやケヤキなどの原木をノミとクサビで縦に割り(「打割製材」)、チョウナではつり、ヤリガンナで仕上げるまで、すべて自分でやっていたそうです。 「大鋸による製材が一般化した結果、大工は打割製材の重労働から解放され、大工仕事に専念できるようになりました。華やかな装飾の寺院神社、数寄屋建築や茶室などは、こうして生まれたと考えられます」。 打割製材に向かないケヤキやマツなどの使用や、精密な仕上げに欠かせない台ガンナの普及も、大鋸製材の導入後のこと。ノミやノコの種類も急増します。 「一方で、木が生えている場所によって構造材と造作材を使い分けたり、右ねじれの木と左ねじれの木を組み合わせて建物のねじれを防ぐといった、木の技が衰えていくのもこの時期です。大工自身が山に入り、伐り出す木を選ぶことがなくなったからでしょう」と赤尾館長。1000年以上も生きながらえた法隆寺のような木造建築は、中世以後は出現していないそうです。「道具の進化イコール知恵の進化、とは限らないという実例ですね」という指摘が、重く響きました。
竹中大工道具館/
所在地:神戸市中央区中山手通 URL: http://dougukan.jp/