2007けんざい
社団法人日本建築材料協会
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けんざい236号掲載


 蔵を思わせる竹中大工道具館の外観

竹中大工道具館

子供のころ、大工さんが持つ数々の道具は、まさに驚異の的でした。重いカンナをどう引けば、紙より薄いカンナ屑が出せるようになるのか。ノコとノミをどう使えば、すき間なくはまるホゾとホゾ穴を作れるようになるのか。普通のカナヅチでさえ、大工さんの道具には不思議なオーラがありました。そんな大工道具の殿堂が、神戸市元町にあると聞き、早速うかがうことにしました。  

「 けんざい」編集部



○住宅街にたたずむ、白亜の博物館
 神戸市元町、兵庫県庁にほど近い静かな住宅街の中に、竹中大工道具館は静かにたたずんでいました。格子窓のある真っ白な壁面に黒瓦の屋根を載せた外観は、今でも古い街で見かける蔵のイメージ。館正面には、古代の技法そのままに仕上げられた法隆寺金堂の素木の柱(復元)が、堂々たる重量感でそびえています。
 重厚な黒瓦葺きの庇をくぐり、「極める」をテーマとする1階に入ると、そこはまさに超一級の大工道具の殿堂。名人をうたわれた道具鍛冶、棟梁たちの逸品が、照明の中に浮かび上がります。手入れの行き届いたノミやカンナの刃先は、日本刀のような鋭さです。
 フロア中央にそびえるのは、法隆寺五重塔の20分の1木造模型。現代の宮大工の第一人者、小川三夫棟梁が修業時代に同輩と組み上げたもので、細部の木組みから仕口まで、精密に再現されているそうです。簡潔で力強く、バランスのよいプロポーションは、日本の大工技術の原点ともいえそうです。
 「本物の五重塔の大修理の際、庇の瓦を取り除くと、垂木が1mほど上に戻ってきたそうです。最初から上に反った部材を選ぶことで、木の反発力を生かしたわけですね。一本一本の木のクセまで見抜く眼力と、高度な技を併せ持っているのが、日本の大工なのです」。 にこやかにそう解説してくださったのが、同館の赤尾建藏館長。長年、竹中工務店で設計部長をされ、大工の技術や歴史にも詳しい建築のプロです。
 「古代から近世、近代にかけて、日本の木造建築は世界有数の技術と美意識を誇りました。この建築文化を支えたのが、すぐれた目と手を持った大工たちであり、彼らが使った大工道具です。竹中大工道具館の趣旨とは、そうした道具の収集・研究を通じて、日本の建築文化を支えてきた職人たちの世界に光を与えること、その技術と精神の粋を後世に伝えることなのです」。

○消えゆく宿命の大工道具を「動態保存」する
 株式会社竹中工務店の企業博物館として竹中大工道具館が生まれたのは、1984(昭和59)年7月。場所は、同社にとってゆかりの深い、最初の本社所在地です。
 「戦後、日本の建設現場に電動工具が普及すると、昔ながらの大工の技術と道具はみるみる衰退していきました。このままでは、先人たちが鍛え上げた日本の建築文化が消滅しかねない──そんな危機感を抱いた当社の竹中鍊一会長(当時)が、創立85周年記念事業の一環として創設したのが、この博物館です」。
 古今東西の大工道具を収集・保存する博物館は、日本では唯一、世界でも少数にすぎません。計画に取りかかった関係者は、肝心の展示品が全国的にもきわめて少ない事実に驚いたといいます。最初の1万点を収集するために要した歳月は、実に5年間。苦労した理由の一つは、大工道具特有の事情でした。
 「刃先がちびて、最初の3分の1、4分の1になったノミも珍しくありません。いいものほど徹底的に使われ、消えていくのが、職人の道具の宿命なのです」。
 そんな厳しい事情にもかかわらず、同館では開館後も精力的に道具の収集を続けてきました。今、その所蔵品は、国内国外合わせて約28,000点。しかも、展示品約1,000点を含む約18,000点は、いつでも使える「動態保存」の状態が保たれています。「美術品でなく実用品である大工道具は、使える状態で保存されるべき」というのが、同館の方針なのです。
 「貴重な道具を動態保存するために、当館では収蔵品を5ランクに分類。最上級の品々は、宮大工の経験を持つ専門研究員が砥ぎや磨きを行っています」。一方、普段使いの道具のメンテナンスを担当するのは、元大工さんなどの館外ボランティア。皆さん、楽しみながら大事に手入れをされるそうです。
 ちなみに、数多い来館者の中には、展示品の砥ぎだけを見に来る人もいるのだとか。並んだノミの刃先だけを食い入るように見て、さっと帰るのだそうです。
 「元職人さんだと思いますが、大工道具館の腕前を確かめておられるのでしょう。砥ぎを見れば、その職人の腕が分かるといいますから」。そう語る館長の笑顔がひときわ印象的でした。

○大鋸(おが)の登場が変えた日本の大工技術
 お話をうかがった後、館長ご自身の案内で館内を見学しました。最初に向かったのが、3階の「伝える」フロア。古代の鉄器渡来、中世の大鋸(おが)導入、明治期の大工道具の変化など、日本の大工道具の歴史と世界の道具との比較が、実物と映像で展示されています。日本の大工道具の大半が法隆寺の建立当時に出そろっていたこと、二枚刃のカンナや四角い両刃ノコ、ネジの原理で穴をあけるドリルなどが明治以後の道具であること、「合理的に、早く、楽しく」を求める西洋の大工道具と「極める」を目指す日本の大工道具の違いなどが、一目で分かります。
 中でも驚いたのは、中世に導入された製材用の大型ノコ、大鋸(おが)が、日本の大工技術を大きく変えたという話。それまでの大工は製材工(木挽)も兼ねており、スギやケヤキなどの原木をノミとクサビで縦に割り(「打割製材」)、チョウナではつり、ヤリガンナで仕上げるまで、すべて自分でやっていたそうです。
 「大鋸による製材が一般化した結果、大工は打割製材の重労働から解放され、大工仕事に専念できるようになりました。華やかな装飾の寺院神社、数寄屋建築や茶室などは、こうして生まれたと考えられます」。 打割製材に向かないケヤキやマツなどの使用や、精密な仕上げに欠かせない台ガンナの普及も、大鋸製材の導入後のこと。ノミやノコの種類も急増します。
 「一方で、木が生えている場所によって構造材と造作材を使い分けたり、右ねじれの木と左ねじれの木を組み合わせて建物のねじれを防ぐといった、木の技が衰えていくのもこの時期です。大工自身が山に入り、伐り出す木を選ぶことがなくなったからでしょう」と赤尾館長。1000年以上も生きながらえた法隆寺のような木造建築は、中世以後は出現していないそうです。「道具の進化イコール知恵の進化、とは限らないという実例ですね」という指摘が、重く響きました。



名工たちの道具は日本刀のような光を放つ

「極める」をテーマとする1階展示室

ノミ跡に楔を打ち込み割る古来の「打割製材」

大工の歴史を変えた二人挽きの大鋸

3階展示室のテーマは「伝える」

桃山時代の大工は、これだけの道具を駆使していた


○大工棟梁の理想像、「五意達者」
 続く2階は「造る」がテーマ。さまざまな種類の木に始まり、それを伐り出し、加工し、建築に仕上げるまでの多彩な大工道具、それを作る鍛冶道具、さらに目立てや砥石などの手入れ道具などが、数多く展示されています。オノ(ヨキ)とマサカリ(タヅキ)の違い(前者が伐木用、後者は材木の荒加工用)、仕事に応じて使い分けられたカンナとノミの種類の豊富さ、それによって加工された仕口・継手の精密さなど、大工道具の世界の奥深さが印象的でした。
 数々の道具を使いこなす大工たちは、超一級のテクノクラートでもありました。それを教えてくれるのが、『五意達者』という桃山時代の言葉です。
 「大工棟梁たる者は、○設計・墨付○数学・積算○加工技術○装飾下絵○建築彫刻、の5分野に達者であれという教えです。設計、構造、デザインに精通し、現場仕事も一流という超人的技術者でないと、棟梁とは認められなかったわけですね」。
 高い技術力の一端は、曲尺(さしがね)に刻まれた裏目にも見られます。これは、円周率や平方根も扱える一種の計算尺。日本人が生み出した世界的発明です。
 「『大工と雀は隅で泣く』といわれるほど難しかった屋根の隅の納まりも、熟練した棟梁は曲尺を駆使してぴたりと納めました」と赤尾館長。日本建築の基本が素木造なのも、曲尺を活用して精密な仕口や継手が造れたから、という説明に納得しました。

○名工と名道具の切っても切れない関係
 「造る」フロアでもう一つ印象的だったのが、よい道具を求める使い手の情熱と愛着です。砥ぎと目立てを繰り返し、当初の半分ほどになったノコや、最高級の玉鋼を使った道具など、展示された品々には当時の大工たちのこだわりと意気込みが刻まれています。
 「よい道具を求める大工の情熱が、道具鍛冶の進化を促し、そこで生まれた道具がまた大工の修練と工夫を促す──そんな循環が、日本の大工技術を世界屈指の水準に磨き上げたのです」と赤尾館長。その真髄が1階フロアに並ぶ、数々の名人たちの道具でしょう。
 ここに並ぶのは、「不世出」と言われた千代鶴是秀や、その兄弟弟子だった石堂秀一、関西の名工・三代目善作ら、道具鍛冶の名人たちの品々。大阪の名大工・江戸熊が、千代鶴是秀に懇請したというノミ一式も並んでいます。道具の引き渡しのため、大阪で初めて対面した二人は、質札を見せ合って大笑いしたのだとか。
 「いい道具のためならと、道具鍛冶は採算を度外視し、大工は家財も売り払ってしまう。すぐれた鍛冶、すぐれた大工ほど貧乏になってしまうという、当時ならではの逸話です」。
 このフロアには、昭和初期の一般的な大工たちがそろえていた道具179点も展示されています。これは、マイスター制度があるドイツの約3倍に上るのだとか。ただ、戦後の電動工具の普及により、この数が急速に減少しているのも事実です。これだけの道具を日常的に使いこなせるのは、一部の大工だけになるでしょう、と赤尾館長は語ります。
 「だからといって、こうした手道具が不要になるわけではありません。電動工具の原理原点は、すべて手道具にあります。伝統的な道具を使い、仕事をした経験は、これからの職人にも役立つはずです」。

○子供たちへ海外へ、「ものづくり」の心を伝える
 最後に、竹中大工道具館の今後の運営について、赤尾館長にうかがいました。個々の道具の使い方を記録する動画資料の充実、全所蔵品に関するデータベースの作成と公開、人気の高いセミナーや講演会などの企画と並んで、館長が挙げたのが海外展の開催です。
 「欧米でもアジアでも、日本の『ものづくり』への関心は高いものがあります。その原点として、当館所蔵の大工道具は大きな役割を果たすと思います。所蔵品の一部を寄贈することも考えられますね」。
 子供たちを対象とする体験教室も、同館の大切な取り組みです。カンナ削りや木工などの体験教室に加え、全国の小・中学校への出張授業も行っています。
 「宮大工出身の館員がカンナの薄削りを行うと、子供たちの間で歓声が上がりますよ。なぜ、あれほど薄いカンナ屑が出せるのか、なぜカンナ屑の匂いが木によって違うのか。道具を通して本物の木に向かい合うことで、子供たちの五感が目覚めるんですね」。
 そんな子供たちの感想文には、決まって「自分も大工になりたい」という作文が交じっているとか。ものづくりの面白さに目覚めた子供たちに、館員も刺激を受けていますよ、と館長もうれしそうでした。
 「将来は、左官や屋根など、大工道具以外の道具にも収集の手を広げたいですね。それぞれの道具や技術は違いますが、建物を建てるという仕事は同じ。さまざまな道具を通じて、日本の『ものづくり』とは何か、を実感してもらえる博物館にしたいですね」。赤尾館長の想いがぜひ実現するようにと願いながら、春たけなわの元町を後にしました。

 


2階展示室

2階展示室入口の原木(右)はカンナ屑の匂いの違いも体できる

製材業をさらに発展させた、一人挽きの前引大鋸

木を伐るためのオノ(左)と荒加工用のマサカリ(右)

ノミは、カンナと同様に種類が多い

 


すり減るまで使い込まれたノコも展示されてい

複雑な屋根の隅の納まりは、曲尺技術の真骨頂

「五意達者」に励むための教科書もあった

昭和初期の平均的な大工は180点近い道具を使用

同館は、2008年のメセナ大賞を受賞
 

竹中大工道具館/

所在地:神戸市中央区中山手通
URL: http://dougukan.jp/


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