けんざい232号掲載
横浜赤レンガ倉庫 横浜を舞台とする映画やテレビで、時々登場する赤レンガ建築が気になっていました。脇役に転じたかつての名優のように、さまざまなドラマの中で不思議な存在感を漂わせていたのです。それが「横浜赤レンガ倉庫」と呼ばれる近代の名建築と分かったのは、かなり最近のこと。探訪を通じて見えてきたのは、「倉庫」という名前からは想像もつかない、貴重な歴史的遺産の誕生と復活の物語でした。 「けんざい」編集部
■スケール感あふれる明治の赤レンガ建築 JR関内駅から北へ歩いていくと、風の中に潮の香りを感じました。目を上げれば、キング(神奈川県庁)、クイーン(横浜税関)、ジャック(横浜市開港記念会館)の3塔をはじめ、数々の洋風建築が次々と視界に入ってきます。1859(安政6)年の開港から約150年を経た港町・横浜。街角には、当時のモダンでエキゾチックな雰囲気が今も豊かに残されています。 15分ほど歩いたでしょうか。新港埠頭と呼ばれるエリアの一角、晴れ晴れと広がる空と海の傍らに、黒い瓦屋根のレンガ建築が見えてきました。目指す「横浜赤レンガ倉庫」1号倉庫・2号倉庫です。 近づくと、まず圧倒されるのが、そのスケール感。特に2号倉庫は、150m近い長さで連なるレンガ壁の合間に揚重機室とよばれる切妻屋根の区画が設けられ、リズミカルな美しさを生み出しています。丹念に仕上げられた軒飾り、滑らかな曲線を描く窓の造形、美しい避雷針などの丁寧な仕事ぶりからは、明治の人々の技術と誇りが伝わってきます。 1号倉庫の中では、建設当時のレンガや瓦、避雷針、防火扉の吊金具などがモダンな形で展示されています。じっと眺めていると、この建物が歩んできた約1世紀の歳月がありありと見えてくる気がしました。それはまた、若々しい明治の日本が海外貿易にかけた、夢の軌跡でもあるようです。 ■日本の威信をかけた模範倉庫として誕生 「横浜赤レンガ倉庫」は、もともと横浜税関の保税倉庫でした。1911(明治44)年に北側の2号倉庫が竣工。1913(大正2)年には、南側の1号倉庫も完成します。 当時、この付近では、日本初の近代的埠頭である新港埠頭が整備中でした。新興国・日本の威信をかけた最新の港湾施設です。 当然、この倉庫にも最高の技術が惜しみなくつぎ込まれることになりました。設計を担当したのは、日本橋や横浜正金銀行(現・神奈川県立歴史博物館)などの作品で知られる妻木頼黄(つまき・よりなか)。辰野金吾や片山東熊らとともに、明治を代表する気鋭の近代建築家です。 妻木が描いたのは、延床面積11,000m2超の近代的倉庫2棟の設計図でした。内部には荷役用揚重機(クレーン)や日本初の荷役用エレベーターを備え、防火床や防火扉、非常用水管(現在のスプリンクラーに相当)、避雷針なども備えた模範的な設計です。素材も破格で、2号倉庫ではレンガ約318万本、鉄材約560トン、セメント約400トンが用いられました。 完成した赤レンガ倉庫は、活況を見せる横浜貿易の要所として大活躍します。当時の保管品は、葉タバコ、羊毛、洋酒、食品、光学器械など。敷地内には貨物輸送のための鉄道が引込まれ、大勢の人々でにぎわいました。おしゃれでハイカラなヨコハマ文化の、いわば原点のひとつが、この倉庫だったのですね。
外壁の積み方はオランダ積み
横浜赤レンガ倉庫/
所在地:横浜市中区新港1-1 TEL:075-761-0221 竣 工:1911(明治44)年〜1913(大正2)年 URL: http://www.yokohama-akarenga.jp/