けんざい231号掲載
平安神宮 平安神宮といえば、文字どおり平安京=京都を代表する神社の一つ。朱塗りの楼門(神門)と豪快な大鳥居の姿は、雑誌やテレビでもおなじみです。実は、この神宮が創建されたのは明治時代。誕生の背景には、天皇遷都後の「みやこ」を近代都市・京都として再建しようとする、当時の人々の英断がありました。困難の中で新たな時代を切り開いた人々の思いを知りたくて、京都・岡崎を訪ねました。 「けんざい」編集部 木絢子
■平安京朝堂院を再現した鮮やかな建物 京都市左京区の岡崎公園一帯は、美術館や図書館、京都会館などが連なる文化エリアです。平安神宮は、その北側に、厳かなたたずまいで鎮座しています。 三条通りから、神宮道を北に向かうと、まず見えてくるのが、道路をまたぐ大鳥居。その向こうに、2階建ての楼門が姿を現します。これが、応天門と呼ばれる平安神宮の神門。朱塗の外観に緑釉の屋根瓦は、冬の空にひときわ鮮やかです。 神門をくぐると、白砂利が敷き詰められた広大な境内が広がります。正面には長大な大極殿(外拝殿)の姿、左右には蒼龍楼・白虎楼と呼ばれる華麗な楼閣。朱塗りの回廊が、それらの建物を結んでいます。 「建物のモデルは、平安京の内裏の正庁・朝堂院。実際の8分の5の規模で再現されています」と教えてくださったのが、平安神宮の南坊城卓英権禰宜(ごんねぎ)。回廊の灯篭には四神が刻まれ、東西2つの手水鉢も、蒼龍(東)と白虎(西)を象っています。 大極殿の奥は、内拝殿を経て本殿に至ります。ご祭神は、平安京を開いた桓武天皇と、有終の孝明天皇です。「長い平安京の歴史、日本人の心の伝統が、このお二方に象徴されています」と南坊城権禰宜。拝殿に立ち、二礼二拍手一礼の拝礼を済ませると、不思議にすがすがしい気持ちになりました。 ■内国勧業博覧会のシンボル的建物として 平安神宮の創建は、1895(明治28)年。その誕生には、京都の人々の熱い思いがあったといいます。 「明治初期の京都は、蛤御門の変による大火に加え、明治天皇も東遷。人口は半減し、経済面でも文化面でも危機的な状態でした。その中で、当時の京都人は苦境を嘆かず、時代に挑むことを選んだのです」。 こうして京都は、近代都市への脱皮を開始。明治の学制発布よりも早い小学校の設置、琵琶湖疎水の開削、それによる電気・水道・水運の整備事業などの事業が興されます。その締めくくりとして開催されたのが、1895(明治28)年の第4回内国勧業博覧会でした。「平安神宮は、その中心施設として建設されたのです」。 平安遷都千百年紀念祭の年に開催された同博覧会は、今の岡崎公園一帯に工業館、農林館、器械館、美術館、動物館などを建設し、17万点近い品々を展示。110万人もの入場者が押し寄せました。復興を果たした市民にも、この盛況は感慨深かったことでしょう。 中でも平安神宮の鮮やかで精巧な建物は、博覧会を象徴する存在となります。監督長木子清敬、技師伊東忠太らによる、綿密な復元考証。全国からの寄付をもとに集められた、最上級の用材・部材。千年以上も栄え続けた京都の伝統を後世に伝えることを目指して、設計・材料・施工のすべてに精魂が込められたのです。 博覧会終了後も、平安神宮は京都市民にとって特別な存在であり続けます。1894(明治27)年からは、名人と呼ばれた小川治兵衛(植治)の手で神苑の整備が始まり、昭和天皇の京都御大典では、大鳥居が完成。1940(昭和15)年には、孝明天皇も祭神となります。その広大で静かなたたずまいは、まさに京都の総鎮守そのものです。
平安神宮/
所在地:京都市左京区岡崎西天王町 TEL:075-761-0221 URL: http://www.heianjingu.or.jp/