「ここには私の人生が詰まっています」
「私にとって、新歌舞伎座は文字通りのホームグラウンド。この劇場を見るたびに、『帰ってきた』という思いがわいてきましたね。他ではまったく抱いたことがない、特別な気持ちがずっとありました」。
そう語っているのは、「杉さま」こと杉良太郎さん。6月1日から始まる「杉良太郎プロデュース なんば新歌舞伎座 最終公演」の記者会見で、新歌舞伎座とのかかわりに質問が及んだ時のことでした。
「昭和49(1974)年、初めてここで座長公演をやったときは、(自分の実力では)3`4回も続けば上等かな、と。それぐらいの迫力がこの劇場にはありました。亡くなった松尾國三社長(当時)の遺志を告ぐつもりで続けてきましたが、まさか36年間、座長公演だけでも50回という長いご縁になるとは思いませんでした」。
この劇場を中心に、関西の数え切れないファンを魅了してきた杉良太郎さん。何とかこの場所で建て替えられないか、という思いは今もあるといいます。
「ミナミにこの劇場があるということ自体、大阪の文化。今はまだ実感がありませんが、なくなった後でその喪失を強く感じるでしょう」。
人気・実力とも当代きっての大スターに、ここまで愛され、惜しまれる新歌舞伎座は、日本一幸福な劇場かもしれません。「杉良太郎の人生は、すべてここに詰まっています」と力強く言い切った言葉が、いつまでも心に響きました。
「桃山調」を求めて生まれた外観
新歌舞伎座は、高さ32.7m、間口60m、奥行39.6m、延床面積11,080m2の地上5階・地下2階建て。それまで千日前にあった大阪歌舞伎座を受け継ぐ約1,900席(現在は約1,600席)の新劇場でした。
こけら落としは、1958(昭和33)年10月の「東西合同大歌舞伎」。華やかな開幕とともに大阪の話題をさらったのは、連続する唐破風と各階の欄干、巨大な千鳥破風を組み合わせたお城のような外観です。
「当時の松尾國三社長が、旧・そごう大阪店なども手がけた建築家・村野藤吾先生に『桃山調で頼みたい』と依頼したと聞いています」と、新歌舞伎座・宣伝担当の星野明子さんに教えていただきました。
芝居小屋には欠かせない太鼓櫓を正面に掲げ、連なる唐破風に飾られた建物は、和風建築そのもの。鉄とコンクリートの近代建築とはとても思えません。ふと見上げると、大屋根の四隅には不思議な飾り。お城のしゃちほことも違うようです。
「中央が『嫐(うわなり)』、左右が『暫(しばらく)』。どちらも彫刻家・辻晉堂氏の作品です」と星野さん。モチーフはなんと、歌舞伎の隈取りなのだとか。
1階正面には、人々をいざなう朱塗りの扉。黄金色の鳳凰の定紋が鮮やかに浮かんでいます。東京・歌舞伎座より1羽多い、2羽をあしらった意匠にも、上方ならではの歌舞伎の殿堂を目指した当時の大阪人の意気込みがうかがえるようです。
|