2007けんざい
社団法人日本建築材料協会
ホーム お問合せ
会員団体出展者専用ページ 協会の概要 会員名簿 業種別名簿 品目・業種別分類表 統計資料 関連リンク

国技館(両国国技館)

けんざい218号掲載


国技の殿堂にふさわしい威容を見せる国技館

 大相撲の聖地・両国国技館は、私の勤務先からJRの高架線をはさんだ向かい側。どっしりした緑青色の八角屋根と真っ白なタイルの外観は、おなじみの風景です。
 とはいうものの、館内にお邪魔するのは、実はこれが初体験。神社を思わせる吊屋根や神聖とされる土俵、たくさんの観客を迎えてきた桟敷席の様子をこの目で確かめたくて、ドキドキしながら正面入口を通りました。

杉田エース株式会社 木村綾乃


お世話になった新井さん(右)、藤本さん(左)と

 

■大鉄傘が見守る力士たちの晴舞台

 正門を抜けた正面広場に立つと、正面玄関の上の唐破風屋根と、その向こうの大屋根がまず目に飛び込んできました。いただいた資料によれば、この大屋根は四角形の隅を落とした隅切り方形という形。1辺の大きさは94m、重さは3,000トン以上あるそうです。ちなみに、遠目からは分かりませんでしたが、表面をおおう銅版も、幅20cm、長さ3mの超大型サイズとか。

 「国技館」の大きな額のある玄関を抜けると、そこは広々としたエントランスホール。「野見宿禰と当麻蹴速」「相撲節会」などの巨大な陶板画がホール内に掲げられ、相撲気分を盛り上げています。

 ここからは、財団法人日本相撲協会の新井さんが案内してくださいます。桟敷席へ続くドアの向こうに広がっていたのは、大鉄傘と呼ばれる天井高35mの鉄骨屋根と、その下に広がる巨大な館内でした。畳5枚分もある優勝力士の写真額が切手ほどにしか見えないのですから、そのスケールが分かります。

 土俵を取り巻く桟敷席は、真紅で統一されたマス席と赤いシートのイス席(2・3階)が中心。「収容人数は約1万1千人」と新井さん。外国の方に喜ばれるボックス席や車椅子用の特別席も新設されています。前方のマス席と土俵は、イベントなどに応じて収納可能な設計になっているそうです。

 桟敷席の中央にある土俵は神聖な場所。この日は見られませんでしたが、場所ごとに呼出さんが造り、「しずめもの」と呼ばれるお供えを中央に埋めて清めます。相撲は、スポーツである以前に神事なのですね。

 「神明造の吊屋根やその四隅の四房、さらに力士のしぐさにも、神事の名残があります」。ちなみに、吊屋根に使われている木材は伊勢神宮のご神木。天皇陛下や皇族方が観戦される2階ロイヤルボックスにも、同じものが使われているそうです。

■仕度部屋の中は、すべてキングサイズ

 桟敷席の次に、仕度部屋を見せていただきました。ここは取組前の力士たちが待機するための場所。本場所中は力士たちの熱気でむせかえるほどになるそうです。

 「特に、千秋楽の日は緊張感が違います。勝ち越し負け越しをかけて、最終日の土俵にのぼる力士たちも少なくないわけですから」。

 仕度部屋の中は、何もかもキングサイズ。取組後の力士が入るお風呂は、ちょっとした銭湯並みですし、トイレの便器は座るとはまり込んでしまいそう。これは、メーカーに依頼した特注品とのことです。

 仕度部屋の片隅には、直径30cm近い木のてっぽう柱が床から突き出しています。私が手で押してもビクともしませんが、力士たちはこの柱を相手に付き・押しの稽古をするのだとか。あまりの猛稽古で根元が傷んでしまい、もう3本目だと聞いて、またまた驚きです。

 ふと下を見ると、コンクリートの床には点々としみが残っています。勝った力士の喜びの汗、敗れた力士の悔し涙。大相撲に生きる人々の歴史が、こんなところにも刻まれているのだと感じました。

 ちなみに国技館には、地域の防災拠点としての役割があります。たとえば、建物は関東大震災級の地震にも耐えられる耐震構造を採用。館内には食料備蓄倉庫、雨水浄化貯蔵装置、自家発電機が完備されているほか、放送局の地区放送用拠点のスペースも確保されています。これらは、地域に役立つ施設をという、当時の春日野理事長の意向によるものだそうです。

 


敷地内の太鼓やぐら

相撲にまつわる故事が描かれたホール内の陶板画

優美な曲線を見せるエントランスホール内部

 

■土俵の外でも名人だった故・春日野理事長

 その春日野理事長(元横綱栃錦)といえば、国技館建設に尽力された名親方。当時、理事長のそばにおられたという藤本さんにお話をうかがいました。

 2代目・蔵前国技館(1954年竣工)が老朽化し、建て替え計画が持ち上がったとき、いち早く両国案を推したのが、春日野理事長だったそうです。

 「まだ、建て替え計画がないころから、今の場所を考えていましたよ。絶対、両国に帰るんだと言ってましてね」。

 実際に建て替えが決まると、設計案の検討、資金の手当て、建設会社の選定など、他の親方の協力も得ながら次々と決定していったといいます。

 「当時の中央官庁の関係者や一流企業の重役の方まで、どんどん味方にしてしまうわけです。なぜ、こんな人と会えるのか、実に不思議でした」。

 また、「新しい建物は自分らに、支払いは若い者に、では筋が通らない」と、無借金での建設にもこだわったとのこと。けじめに厳しかったという春日野理事長の素顔が浮かんできます。

 こうして1985年(昭和60)、協会もファンも待ち望んだ新国技館は見事、完成。150億円の建設費はすべて無借金でした。この年は、相撲好きで知られた昭和天皇在位60年、日本相撲協会創立60年、理事長自身の還暦土俵入りが重なった年。「幸運な理事長」と呼ばれたそうですが、私にはそれ以上の何かがあったと思えます。藤本さんは、こう話を結ばれました。

 「話し上手な親方でしたが、それ以上に聞き上手な人。自分よりも相手の人、周囲の人に気配りのできる人だったと思います。だからこそ、あれだけの人々が協力してくださったのではないでしょうか」。

 さて、この記事が出るころには、大相撲五月場所も始まっているはず。朝青龍・白鵬の両横綱が並ぶ今場所も、きっと熱戦が続くことでしょう。「力士同士がぶつかり合うあの音は、桟敷でないと体験できませんよ」とおっしゃった新井さんの言葉を思い出しながら、いつか私も生の相撲を見てみようと思います。

 


天井高35mという大鉄傘が見守る館内


32枚の優勝額は畳5枚分の大きさ


仕度部屋内のてっぽう柱

国技館(両国国技館)

所在地:〒130-0015 東京都墨田区横網1丁目3-28
TEL:03-3623-5111(代)
URL: http://www.sumo.or.jp
竣 工:1985年(昭和60)


一覧に戻る
 
Copyright (C) 2007 JAPAN BUILDING MATERIALS ASSOCIATION. All rights reserved.