ビジネス街にたたずむ御殿風園舎
大阪市中心部のビジネス街に、周囲とはずいぶん趣を異にする建物があります。現存最古の木造園舎、愛珠幼稚園です。平成11(1999)年、大阪市有形文化財第一号に指定されました。さらに今年の6月には「最古でありながら現役」が称えられ、園舎と昭和6(1931)年設置の廻旋滑台が国の重要文化財に指定されています。 淀屋橋駅近くに突如姿をあらわす、大きな入母屋を持つ御殿風の建築にまず「おやっ」と思い、これが現役の幼稚園舎と知ってもっと驚きます。ものすごい貫禄、周りの建物と一線を画した風格。
美術館を思わせる、ガラス張りの駅
モザイクの石貼りが鮮やかな駅前広場を中心に、地上30階の超高層ビル・高松シンボルタワーや全日空ホテルクレメント、高松港旅客ターミナルビルなどが連なる「サンポート高松」。JR高松駅は、そのモダンな風景に溶け込むようにたたずんでいました。
建物に近づくと、天井まで続くガラスの外壁に引き付けられます。1枚のガラスの大きさは、3m四方以上。不思議な透明感は、駅というより美術館のようです。
入り口を抜けると、幅24m、高さ18mの吹抜が、心地よい開放感で身体を包んでくれます。降り注ぐ陽ざしの下には、世界的彫刻家・流正之氏の作品「抱いてんまい」が、やさしく人々を見つめています。
「ここは、いわば駅の中の広場。改札口を抜けた後、ドームの高さやガラス越しの風景に驚かれる観光客の方も多いですね」と、ご案内いただいた黒長区長。こういう空間のある駅は、国内でも珍しいそうです。
4代100年の歴史を秘めた、四国の玄関口
JR高松駅は、100年を超える歴史を持っています。
初代高松駅は、1897年(明治10)に建設。当時は讃岐鉄道の駅で、位置も今より南西寄りでした。
2代目の誕生は1910年(明治43)。宇高航路(岡山県宇野〜香川県高松)の開設に合わせ、今よりもっと港寄りに、四国の玄関口として建設されたとか。古い写真を見せていただきましたが、洋館風の重厚な外観に驚きました。「当時の高松の人々は、大阪駅よりも立派だと胸を張ったそうです」と黒長区長。残念ながら1960年(昭和35)に焼失しましたが、港を背景にした洋風の駅舎は、さぞ印象的だったに違いありません。
戦後1959年(昭和34)に立った3代目は、近代的なビル駅。1987年(昭和62)のJR民営化以後は、JR四国の本社も兼ねていました。
「関係者には便利でしたが、コンコースが狭いなど、駅としての印象はいま一つ。そこで、“駅舎らしい駅舎”をテーマとして、4代目の建設が計画されたわけです」。
列車の発着が見渡せる、駅らしい駅
黒長区長の案内で、駅の中を見せていただきながら、お話をうかがいました。
2001年(平成13)に完成した現駅舎の着工は、1999年(平成11)。設計作業は、その3年前から始まっていました。内外の有名な駅も参考にしながら、駅のイメージを固めていったのですが、そこでまず決まったのが、ガラスの吹抜だったそうです。
「この駅が位置する「サンポート高松」は、高松市のいわば正面玄関。開放感のある風景をさえぎらないよう、向こう側が見える駅を、と考えました」。
もう一つ黒長区長たちが考えたのは、発着する列車が見渡せる駅にすること。
「ヨーロッパ映画に出てくる始発駅のイメージですね。もともと駅は、出会いと旅立ちの場所。特に、高松駅は四国の起点駅ですから、それにふさわしい風景をご用意しようと思ったわけです」。
大ガラス越しに列車が見渡せるように、コンコースの2階席は自由に歩けるデッキになっています。私も上ってみたのですが、いろいろな列車が眼下で発着する様子は、旅人でなくても心がおどるものでした。
「デッキの床を木で仕上げたり、誰もが自由に座れるベンチを置いたり、細かい部分まで丁寧に仕上げました。観光客の方や子供たちが、列車の発着風景を見つめていたりすると、この設計でよかったな、と思いますね」と黒坂区長もにこやかです。
さらに、この駅の魅力となっているのは、バリアフリーが徹底していることです。
「駅前広場からコンコース、改札口、さらに9つあるプラットホームまで、段差がありません。高齢の方や車イスの方もスムーズに乗降していただけますよ」。
乗り換えのたびに階段を上り降りしなくていいのは、私たちにとっても大助かり。遠来の観光客の方にも好評だそうです。ちなみに同駅は、2002年(平成14)の第1回交通バリアフリー優秀大賞(交通エコロジーモビリティ財団主催)に選ばれています。
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