2007けんざい
社団法人日本建築材料協会
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世界平和記念聖堂
カトリック広島教区司教座聖堂幟町教会

けんざい212号掲載

   広島にとって、世界平和記念聖堂は原爆ドームや原爆慰霊碑とともに、特別な存在です。原爆投下後の広島の復興、そして市民一人ひとりの祈りを、この聖堂はじっと見守り続けてきました。そこに込められた平和への思いは、今もなお、訪れる人々に強いメッセージを語りかけているようです。この聖堂の建設にあたっては、世界中の人々の尽力があったと聞いています。まだ戦争の爪あとが色濃く残り、日常の暮らしも容易でなかった時代に、何が人々の心を動かしたのか。今回の訪問では、そんな先人たちの思いの深さに触れてみたいと考えました。
株式会社大橋商会  高橋 麗

聖堂正面にて 高橋麗さん

 

被爆した一人の神父の祈りから

 正門を入ると、目の前がその聖堂でした。正面の壁面には巨大な十字架。その隣には高い鐘楼が、青空に美しく映えています。
 「鐘楼の高さは十字架を除いて45m。塔内にはドイツ製の4つの鐘が納められています」と、解説の藤田博美さん。この聖堂のガイドのボランティアのお一人です。
 聖堂建設のきっかけは、戦前からここで布教していたフーゴ・ラサール神父の発案だったそうです。日本人の心を知るために自ら参禅し、後には「愛宮真備」という名で日本国籍に帰化したイエズス会士。そして、自らも原爆に遭遇した被爆者でした。
 「神父が願ったのは、原爆犠牲者の慰霊追悼と世界平和を祈る聖堂の建設でした。自らも被爆者だったからこそ、その思いは世界中に届いたのでしょう」。
 当時の法王ピオ12世から、聖堂建設に対する特別の支援と祝福をいただいたラサール神父は、昭和22(1947)年から聖堂建設の準備を始めます。土地の手当て。資金集め。建設会社の選定。そして、設計。
 「設計については紆余曲折があったのですが、村野藤吾先生が担当することになりました。条件は、「健全なモダンスタイル」「宗教的」「記念的」「日本的」であること。先生はこの仕事を、設計料なしで引き受けられたと聞いています」。

内外の人々の献身に支えられて

 昭和25(1950)年8月6日、聖堂の建設がスタートします。土地の確保には広島市が協力し、募金活動や工事には大勢の市民が献身。この建物のほとんどが現場での手造りです。それだけではありません。
 「国内では、高松宮殿下や当時の吉田茂首相、池田勇人蔵相らが中心となって、後援会が結成され、大々的な募金が始まりました。アメリカやドイツなどからも、浄財や資材寄付の申し出があったそうです」。鐘楼の中の4つの鐘もその一つ。ドイツからの寄贈でした。
 「ドイツからは他にも、聖堂正面の3つの門やパイプオルガン、説教壇、ステンドグラスなど多数が寄せられました」。当時の同国は、戦争で大きな被害を受けていたはず。にもかかわらず贈られてきた品々には、人々の切実な思いが込められていたはずです。
 「それこそ、この聖堂に伝えられた一番のメッセージであり精神だと思います」。
 そのせいでしょう。昭和29(1954)年の献堂以後、ここにはマザー・テレサやベルギー国王などが来訪。中でも、先のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が残した平和アピールは有名です。「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です…ヒロシマを考えることは、平和に対しての責任を担うことです」。
 藤田さんも言います。「聖堂の扉は、あらゆる宗教・宗派のあらゆる魂に開かれているのです」。


面階段を守る有翼獅子

古くからインドで神聖視された牛

かつては議場だったという講堂

 

日本的な意匠が随所に盛り込まれて

 藤田さんの案内で、聖堂の内外をじっくり見せていただきました。
 まず目に入るのが、打放しコンクリートの枠組みにコンクリートブロックを積み込んで構成された外観。手づくりの目地部分が不思議な温もりを感じさせます。
 「歳月によって味わいが出る建築というのが、村野先生の狙いだったそうです」。
 キリスト教のエッセンスが刻まれた3つの正面扉は、ドイツ・デュッセルドルフ市の寄贈。また、カトリックの7つの秘跡を表す正門上部の彫刻は、日本の寺院などに見られる欄間を模しているのだそうです。
 扉を抜けると、身廊と呼ばれる1階ホールです。高さ18mの巨大なホールには、厳かな静けさが満ち、ドイツから贈られたステンドグラスの窓やキリストの生涯を描いた列柱の陶板画が、彩りを添えています。天井から下がる照明器具は、ハスの花を模したもの。これは、日本仏教会からの寄付に対する感謝の表れでもあるそうです。
 「身廊の上のステンドグラスも、モチーフは松と竹と梅。随所に日本的なデザインが生きているのです」。

平和を祈るすべての人々とともに

 身廊の正面は、司教がミサをあげる内陣になっています。再臨のキリストを象った巨大なモザイク壁画は、当時の西ドイツ・アデナウアー首相から贈られたもので、世界中から集められた石とガラスが使われているそうです。
 「大理石の本祭壇は、献堂式の前日にベルギーから横浜に到着しました。特急列車に貨車を連結して運ばれ、据付が終わったのは式の寸前だったそうです」。
 祭壇の左手前には、この聖堂建設の中心となったラサール神父のレリーフ。平成2(1990)年に亡くなった神父の遺骨も、この聖堂の中に安置されているそうです。
 玄関ホールの階段を上って聖堂の2階に出ると、そこは聖歌隊席でした。内陣と向かい合う形で、パイプオルガンが設けられています。
 「パイプの数は当初1700本余り。その後増やされ、今は3600本以上になります」。
 聖堂に隣接する音楽学校の生徒が練習を兼ねて演奏するほか、毎月第1日曜には定期演奏会が催され、400回以上続いているとか。私も一度、聞いてみたいと思いました。
 広い建物内には、他にも地下聖堂、マリア聖堂、洗礼室などが置かれています。敬虔な祈りを捧げる人の姿に、ここが信仰の中心であることを改めて実感しました。「鐘楼内も見学できますが…」と薦められたのですが、これは断念せざるを得ませんでした。本当は、4つの鐘や復活を象徴するフェニックス(鳳凰)も見たかったのですが…。
 ちなみに、世界平和記念聖堂は昨年、戦後建築では初めて重要文化財指定を受けています。藤田さんはそれもまた、内外の人々の支えによるものだといいます。
 「最初にお話しした通り、この建物は宗教・民族・イデオロギーを超えて、真の平和を願って完成しました。その心は今も、この聖堂のすみずみに息づいています。そうしたあり方こそ、この聖堂が文化財である最大の理由だと思うのです」。

 

世界平和記念聖堂/

場所:東京都中央区築地3-15
TEL :03-3541-1131
URL :http://www.tsukijihongwanji.jp/

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