けんざい211号掲載
築地にそびえる異国風の大伽藍
東京・築地。魚で有名な中央卸売市場からほど近い場所に、築地本願寺はありました。中央の円屋根の意匠は、ほとんどインド。そこから左右に伸びる翼と小塔のある構成は、アンコールワットにも似ています。正面階段足元の有翼獅子は古代ペルシャあたりが、階段に刻まれた象や猿、鳥などの像は、古い仏教説話が起源のようです。どれもこれも、インテリアコーディネーターとして一度は見たかった風景です。 「幾つかのモチーフは、アンコールやボロブドール、アジャンタなどの寺院が起源でしょう。アジアの各地を訪ねた伊東忠太らしい造形です」と、お話をうかがった副輪番の錦織信貴師。分厚い資料を手に、丁寧に説明してくださいました。 創建以来、何度も被災した築地本願寺にとって、現在の伽藍は9代目。その設計に伊東忠太を起用したのは大谷光瑞西本願寺前門主だったそうです。 「光瑞前門主は仏教の源流を訪ねて、中国奥地に大谷探検隊を送り込んだスケールの大きな方。伊東もまた、西欧の模倣でない独自の建築を目指して、アジア各国を訪ね歩いてきた。同時代の二つの精神が共鳴した結果、こんな寺院が生まれたのでしょうね」。 ユニークなアジア風の意匠にしても、当人たちにはごく自然な結論だったようです。ただ、当時の大多数の日本人にとってそれは常識の外。とんでもない発想だったはずです。 「最初から最後までかなりの反対があったと聞きました。お寺が建つと聞いていたのに、完成したら見たこともない建物がある。当時の東京の人も、さぞびっくりしたでしょう」。 では、現在の西本願寺の人々にとっては? 「誇りですよ」というのが、そのお答でした。 「確かに古い建築ですし、維持管理も簡単ではない。しかし、彼らがここに込めた思いや情熱は、今も全く古びていない。だからこそ、私にとって、この寺は誇りなのです」。
現代に生き続ける寺院として
お話をうかがった後で、建物の中を案内していただきました。まず、円屋根の下に広がる本堂内。10mはありそうな吹抜の空間は、伝統的な桃山様式の荘厳(仏教寺院の意匠)になっています。シャンデリアや折上の格天井、柱の上部の組物など、意匠にも伊東忠太の目が行き届いています。 本堂内の太い柱の根元には、四神など複雑な意匠が刻まれています。実はこれは、当時の暖房の吹出口だったとか。電動式の鐘楼があったり、耐震性や耐火性も十分考慮されているなど、築地本願寺は当時の最新建築でもあったわけです。 貴賓室もまた、味わい深いものでした。シャンデリアは古い香炉を模した特注品。天井の回り縁や壁の木製パネル、コート掛けや書棚まで丁寧に造られており、しかも部屋ごとに微妙に意匠が違います。どなたをお迎えするかによって内装を区別していたようです。 最後に見せていただいた講堂は、かつての議場。広々と明るい室内は、活発な議論にふさわしい空間と思えました。手にしっくりなじむ窓のハンドルや凝った壁紙などに、当時の人々の確かな仕事ぶりがうかがえます。“誇りを込めて”という錦織師の言葉を、改めて実感しました。 もう一つ印象に残ったのは、本堂内や境内でこのお寺を拝んでいくたくさんの人々の姿。写真やテレビでは見えませんが、実際に訪ねてみると、このお寺が人々の心に生きている事実を強く感じます。それに触れた錦織師の言葉を、最後に記しておきたいと思います。 「仏教寺院にとって一番大事なことは、現在に生きる存在かどうかです。悩める人もそうでない人も気軽に立ち寄れる、時にはそこから生きる力や知恵を得られる寺院として、この別院はあり続けたい。近代の名建築であるだけでなく、現代に生きて働く寺院として、築地本願寺はあり続けたいのです」
築地本願寺/