けんざい210号掲載
60年ぶりに生まれた上方落語の定席
大阪天満宮の境内を抜けた目の前に、天満天神繁昌亭はありました。鉄筋2階建て(一部3階建て)和風の建物は、天神祭の船をイメージしたとか。軒端に並んだ提灯や初代桂春団治ゆかりの赤い人力車、明治時代のポストなどが、寄席らしい雰囲気をかもし出しています。訪問したのは、ちょうど昼席の中入りが終わる頃。バラバラバラという太鼓の音に続いて、にぎやかなお囃子が始まると、私の心も浮き立つようです。 繁昌亭の2階で上方落語協会副会長・桂春之輔師匠のお話をうかがいました。大阪は芸能の都といわれていますが、上方落語の定席誕生は実に60年ぶり。上方落語協会の桂三枝会長が悲願達成を口にされてからとのこと。大阪天満宮が土地を提供し、地元の天神橋筋商店街も全面協力を約束。さらに、大阪をはじめ全国の市民や企業から寄付が1億8000万円以上も集まり、建設は一気に本格化したといいます。 「寄せられたお金は、当初の目標額の2倍以上。無理や、という声もあっただけに、うれしい誤算でした」と、春之輔師匠。ご寄付をいただいた方々の名前は、客席天井から吊り下げられた提灯に書き入れられ、お客さんと一緒に高座を見守っています。 もう一つの“誤算”は、開業以来の繁昌ぶり。師匠自身も「落語だけでこんなに大入りが続くとは思わなんだ」とおっしゃいます。「いわゆる落語ファンだけやない。ごく普通の方がわざわざお金を払って、僕らの話を聞きにきてくださる。こんなありがたいことはない、頑張らんとあかんで、と楽屋でも話してるんです」。
お客さんと息のやりとりができる高座
天満天神 繁昌亭は約250席。演芸場としてはやや小ぶりですが、「これぐらいがいいんですわ」と春之輔師匠は言います。理由は、マイクの力を借りなくても、噺家の声がきちんと届くから。「落語は語りの芸能ですが、聞こえる言葉だけが芸やない。声にならん声を聞いていただき、お客さんと息のやりとりしながら舞台を作ることができる。それが繁昌亭のよさ、生の高座の醍醐味ですわ」。設計や施工の過程でかなりご苦労されたこともあって、落語家の間の評判も上々という師匠の声は、ちょっぴり自慢そうでした。「東京の定席も見てきましたが、全然負けてない。私は、日本一(!)の定席やないかと思うてます」。 そんな定席には、昔からのしきたりがいろいろあります。中でも面白かったのは、先の人がやった噺と同じジャンルの噺はしないという決まり。おかげで、若手落語家の目の色が変わってきたそうです。「得意な噺が一つ、二つではとても間に合わんし、付け焼き刃では恥ずかしい。いきおい勉強にも力が入るわけです」。楽屋が大部屋一つだけというのも、狙いがあってのこと。「日頃はそばにも寄れん大看板と、ここなら同じ楽屋になれる。それだけでも、若い子にはええ経験になります。これも定席の効果ですな」。 とはいえ、気を緩めてはいかん、と春之輔師匠はおっしゃいます。 「僕の見るところ、この人気はむしろ繁昌亭の人気。それを上方落語そのものの人気にどうつなげていくか。本当の勝負はここからですわ」。そのためにも、僕ら落語家がもっともっと話芸を磨かなければ、という師匠の言葉に、プロの覚悟を感じました。 昼席がはねた後、改めて繁昌亭の中を見せていただきました。私が初めて落語を見た場所とは全然違う雰囲気。噺家さんとお客さんとの息のやりとりが本当にできそうな温かみが詰まっている気がしました。今度はぜひここで落語を見てみたいと思いつつ、繁昌亭を後にしました。(記:熊野絵美)
天満天神 繁昌亭/