明治の精神を物語る風格の建築 設計は宮廷建築の第一人者・片山東熊
京阪七条駅から東へゆるやかな坂を上っていくと右手に国宝・三十三間堂、左手に京都博国立博物館の飾り柵の塀が見えてくる。1895年(明治28)に竣工した博物館本館は、煉瓦柱の塀、正門とともに重要文化財である。重厚な西洋建築の本館と正門の間には噴水を中心にして整然とした欧風庭園が広がり、入場者は非日常的な世界へ導かれる。同館学芸課文化財管理官・中村康さんが建築について解説してくださった。
幕末の大火と東京遷都によって荒廃した京都のまちに産業復興のきざしが見えてきた頃、政府は京都の寺院が伝えてきた美術を公開して国民文化の形成を図ろうと帝国京都博物館の設置を決めた。東京で帝国博物館美術部長をしていた岡倉天心が本館の計画を立て、宮内省内匠寮の技師であった片山東熊が設計した。
片山東熊(1854〜1917)はイギリス人建築家ジョサイア・コンドルに学び、奈良国立博物館、赤坂離宮(迎賓館)など日本の代表的な西洋建築を設計した建築家である。京都国立博物館の建築はまさに日本が近代国家をめざしていた時代の精神を表現している。
フランス17世紀のバロック様式を採用しながら日本的な感覚をしのばせる同館は鉄筋を入れない純粋の煉瓦造だ。理想は、ローマ時代の建築に見られる“強・用・美”、つまり構造の強さ、使いやすさ、美しさの3つを兼ね備えることだった。それを実現するためには材料の質と技術の高さが求められた。京都はもちろん近畿圏と東京から石工・煉瓦積・左官など練達の工匠を集め、材料は最高のものが全国から選ばれた。
たとえば石は、沢田石と呼ばれる伊豆の河津で採れた凝灰岩と愛媛県伊予大島産の青味を帯びた良質な花崗岩を採用した。建物の基部には花崗岩、彫刻など装飾する部分や外壁には沢田石が使われている。ところどころ縞模様の入ったベージュの沢田石は太陽の光を浴びると金色に輝き、重厚な建築に優美さを添えている。
煉瓦は、普通の煉瓦・焼き過ぎ煉瓦・磨き煉瓦と3種類を部位によって使い分けている。
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本館の円屋根が背後にある東山の
稜線と調和している。煉瓦・沢田石・花崗岩
それぞれの材料の美しさが映える |
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中央ホールはもと彫刻室。
漆喰で白く塗り上げられている |
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正門(重要文化財)両脇に付属する
小部屋はそれぞれ門番の詰め所・
券売所として昔使われていた |
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古都の自然・まちなみとの絶妙の調和 西洋の“強・用・美”と伝統の遣り方
西洋建築ではあるが、地震の多い日本の風土を考慮に入れ、かつての寝殿造りに見られるようなしっかりとした遣り方(やりかた)の技法が踏襲され、きちんと水平がとられているため、不安定な地盤ながら自然な免震構造になっているという。京都国立博物館のすばらしいところは、古都のまちなみ、東山の二つの山をはじめとする自然の風景と溶け合って美しい景観をつくっていることにある。前庭正面から本館を眺めたとき、柔らかく膨らむ円屋根と東山の稜線が呼応し、水墨画でも見ているようだ。本館の背後に見え隠れする寺院の屋根とも不思議な調和を見せている。
逆に本館の正面玄関から前庭、正門を見下ろすと、山並みを背景とした都市の壮大なパノラマが広がる。飾り柵の塀を視線でたどると三十三間堂の大屋根も見通せる。
「片山東熊は独特の感性によって京都のまちなみや自然と一体化した西洋建築をつくりあげました。構成要素はバランスがとれ、建物のつくるリズムが周りに広がっていきます。人は豊かな建築の中にいれば自ずと心も豊かになると思います」(中村さん)。
開口部のアーチや階段の張り出し具合、床下の風窓装飾にいたるまですべて構造的に計算されており、無駄なものは一切ないという。構造とデザインが一体なのだ。“強・用・美”とはこういうことなのかと深く感じ入った。玄関の上の三角形の破風に彫刻された毘首羯磨(びしゅかつま:造形の神様)と技芸天(ぎげいてん:文学や音楽の神様)??お二方の神様も訪れる者にこの建築の精神を訴えているように思えた。
博物館はあと100年はゆうにもつという。数十年しかもたない現代建築を思うと、文明開化の時代に生きた先人たちのパワーに拍手を送りたくなった。 (記:長谷川徳子)
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