が全作品を市に寄贈し、西田栄三市長(当時)が中心となって美術館建設の話が具体的に動き出したのは昭和58年(1983)のことだった。国有地だった奈良時代創建の新薬師寺旧境内にあたる土地を買い取り、平成2年(1990)に着工、2年後完成した。古代文化や自然景観の美を鑑賞できる美術館にしたいと強く願っていた入江泰吉本人は開館を目前に急逝してしまった。 展示室など機能の大部分を地下に埋め込んだ大胆な設計は建築家・黒川紀章によるものだ。 建設にあたって最も重視したのは“環境との調和”だった。このあたりは第3種風致地区、歴史的風土保存区域に指定されているので、建物の建設には制限がある。計画当時のことをよく知る奈良市建設部営繕課長の北村晴雄さんは「はじめは他にも設計案がありました。新薬師寺という重要文化財の隣に建つ美術館ですから、私たちは和風の屋根をつけたいという思いを持っていました。黒川さんは現場を見て、私たちのイメージを具体化してくれました。景観上高い建物にはできないというハンデを、屋根から下をすっぽり地下に埋めるという奇抜な方法で解決したのには感心しました」と語る。 展示室を地下にしたことによって、温度・湿度の変化や太陽光からの紫外線が少なく、写真を展示するのに都合がよいというメリットも生まれた。
社寺建築に多用される飛鳥瓦で葺いた大きな屋根は奈良の寺院を参考にしているものの、それらに特有の反りを持たず直線になっている。総ガラス張りの現代的な外壁と溶け合って全体の印象はきわめてシャープだ。屋根自体も低く、軒先がすぐ目の前にある。軒先の高さは、デザインのバランスを考えて最終的に設計図よりさらに10cm下げたそうである。 白い玉石を敷いた人工池が建物の周りを囲む。水面と1階ホールの床面は同じレベルに設計されているので、外壁のガラスに水面が映り込み、それが光沢のある黒いテラゾーブロックのホール床面と重なって館内にも水が張られているかのような錯覚に陥る。 内部に入ると、ホールの天井は航空機をイメージしたという真っ白な金属張りで瓦屋根の外観からはちょっと想像できない。 工期2年のうちまる1年を費やしたという約1,800?の地階部分には展示室のほか収蔵庫、ハイビジョン室、ミュージアムショップ、資料室などがある。8万点に及ぶ入江作品はハイビジョン映像システムで見られるようにしている。 同館はスロープや車イス用トイレ、エレベータなどを備えている。今でこそ当たり前のバリアフリー設計だが、当時はまだハートビル法もなく、先駆けだった。
管理・運営は財団法人入江泰吉記念写真美術財団が奈良市の委託を受けて行なっている。専務理事の前田憲一郎さんは「天平から受け継がれてきた文化や歴史を入江作品を通じて発信し、市民文化向上のお役に立つ館でありたい。全国から多くのお客さんが来てほしいという気持ちはもちろんですが、まず地元の人に関心をもってもらうことが大事です。地元の人が誇れる美術館にするため私たちもまず地元に対して貢献したいと思っています」と言う。 写真展示以外にも地元の人を対象に写真教室や講座、小中学生のためのピンホールカメラ、夏休み写真教室などを定期的に開催し、好評だという。また、10月1日から12月25日まで、入江泰吉生誕100年を記念した特別展として、巨匠・土門拳との二人展が予定されている。「この二人の作品を一緒にした展覧会を本格的にやるのは初めてなので、気合いが入っています」。(前田さん) 今回は作品をじっくり鑑賞する余裕がなかったが、ぜひまた訪れて大和路の風景と入江作品に触れてみたくなった。 (記:金光訓仁子)
奈良市写真美術館