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階段ホール2階部分にある
ポーハッタン号を描いた
ステンドグラス。右下ブロックに
星条旗が見える |
懐かしの町会所「時計塔」を再現 高塔に大正期煉瓦造建築の粋
横浜市開港記念会館は大正3年(1914)、開港50周年記念事業の一環として着工され、6年(1917)に竣工した。建設費36万円は商人や市民から寄付を募った。この地にはもともと横浜市民の中心施設である町会所が建っていたが、明治39年(1906)に焼失している。会館の設計は公開コンペ方式によって旧町会所のシンボル「時計台」をイメージした案が採用された。
震災や戦争を乗り越え、ハマのシンボルとして今も日々たくさんの人々が集い、交流する同館は大正7年(1918)年竣工した大阪市中之島の中央公会堂とともに大正期の公会堂建築を代表するひとつである。案内してくれた深井楯男館長代行は「赤煉瓦と花崗岩をとりまぜた外観が素晴らしいでしょう。これは辰野式フリークラシック様式という、日本銀行本店の設計者でもある辰野金吾が創り出した独特の西洋建築様式です」と誇らしげだった。ドーマー窓の並んだ寄棟屋根とマンサード屋根の上部にさらに越屋根が置かれ、高さ約35メートルの時計塔と王冠のような八角形のドームがバランス良く配置されている。
この建物は実は大正12年(1923)の関東大震災で大きい被害にあっている。ドーム部や内装を火災で失ったのである。深井氏の説明では「高塔部や煉瓦造りの外壁だけは残りました。明治期最高の煉瓦造建築耐震構造『錠聯鉄構法』を取り入れていたから堅牢だったのです」ということだ。大正15年(1926)に37万5,000円の工費で復興工事を行なったが、“とり急ぎ”の復旧だったため、同館の際だった特徴であるドーム部までは再建できなかった。
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