2007けんざい
社団法人日本建築材料協会
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講演会の予定・講演録
「企業経営の新しい潮流とは」

福井コンピュータ株式会社 代表取締役社長 小林 眞氏

人間は「考える」動物である
 人類がサルと分かれてから、最低でも600万年が過ぎていると言われます。サルと分かれた人類は、野生の動物を倒したり、魚を捕ったり、木の実や穀物を集めたりして食物にするようになります。それを可能にしたのが、石器や動物の牙、骨などで作った道具です。
 この歴史が長く続いた中で、人間は脳、特に前頭前野という部分を発達させました。ここはいろいろなものを「考える」ための場所です。道具を使って動物を倒すには、どうすればいいか。植物を採集するには、どうするか。火をうまく使うには、どうやったらいいか。それが、「考える」ということです。
 「考える」ことができるのは、人間だけです。ペットでも考えたり、喜んだりすると言われますが、あれは人間の感情の反映です。牛や豚は、あと1ヵ月後に自分がハムになってしまう、などと悩んだりしない。「考える」ことが、人間の特徴です。
農業社会の誕生が、人類を変えた
 人間が言語、言葉を持ったのは、少なくとも約200万年前と言われます。言葉で互いの意思を疎通しあうようになると、そこから音楽や絵画のような文化が発達します。さらに、文字が生まれます。
 こうして、約6000年前に、エジプト・インダス・メソポタミア・黄河の4大文明が生まれました。ここで人類は、初めて「社会」というものを持った。すなわち農業社会です。
 農業社会の誕生によって、人類はゆとりを持てるようになります。毎日毎日、動物と格闘しなくても、農業や水産業、牧畜で食べていける。食物の貯蔵や運搬、チーズやバターなどの加工技術も生まれてきます。人類にとって、これは大きな出来事でした。
産業革命最大の事件は「会社」
 18世紀のヨーロッパでは、産業革命が起こります。この時代には、繊維機械や蒸気機関、印刷機械などが発明されましたが、最大の出来事は「株式会社」が普及したことです。
 世界最初の会社は(オランダ)東インド会社だと言われていますが、それが次々と作られたのは産業革命以後です。各社は生産手段を用意し、労働者を雇用し、材料を仕入れて商品を作り、販売しました。
 こうして生まれたのが、農業社会に続く産業社会です。そこでは大量生産、大量流通、大量教育、大量情報(マスコミ)が発達します。近代官僚制が生まれたのも、この時代でした。
 産業社会では、労働力を提供する労働者階級(プロレタリアート)と資本を持つ資本家階級(ブルジョアジー)の矛盾が激化します。その結果が、ロシア革命です。南北戦争や明治維新も、古い農業社会に新しい産業社会がかぶさることで、引き起こされたものです。
「モノ以外のもの」を生み出した現代社会
 さて、農業社会、産業社会に続く現代社会の特徴とは何か。それは、「モノ以外のもの」の社会です。
 今、日本の上場企業の中で、純粋にモノだけを作っている会社はない、と申し上げたら、皆さんはどう思われますか。マスコミ、吉本興業、金融機関だけではありませんよ。自動車でさえ、エンジンやシャシー、ボディなどの合計は、原価の3分の1ほどだと言われています。残りの大半は、広告やデザイン、研究開発費、ソフトウェアなどに当てられている。モノ以外の部分が、原価のほとんどを占める商品。これをモノと言うのは無理でしょう。
 では、「モノ以外のもの」を買うとはどういうことか。たとえば、皆さんが飲んでいるミネラルウォーターは、500mmリットルで120円とか150円。1リットル120円のガソリンの倍もします。それでも買うのは、「何とかの水」という名前の価値を信用しているからですね。そこが、水道水とは決定的に違う。モノではなく、「ブランド品」としての水だから、売れるわけです。
現代社会最強のパワーは「知」
 世の中には、大きなパワーが3つあると言われています。これを象徴するのが、「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」「八咫鏡(やたのかがみ)」という「三種の神器」ですね。それぞれ、「暴力」「富」「知」を表しています。
 このうち、「暴力」は人を傷つけるためにしか使えません。「富」は、人を傷つけるためにも、たたえるためにも使えますが、使えばなくなってしまう。一方、「知」は、人を傷つけるためにも、たたえるためにも、モノを作り出すためにも役立ち、しかも、どれだけ使ってもなくなりません。使えば使うほどレベルの高いものになって還ってくるのが、「知」です。
 現代では、核兵器やミサイルのような「暴力」、豊かな生活やそれを支えるお金、ファンドなどの「富」は、コンピュータという「知」の助けがなければ、うまく運用できません。「知」のパワーが、「暴力」や「富」を凌駕しているのが、現代社会だと思います。
能力の違いとは、「種類」の違い
 世間では、人間の能力に差があると言っています。優秀な大学を卒業し、優秀な企業や中央省庁に入る人が、頭がいいとされる。しかし、私は違うと思います。差があるように見えるのは、実は種類の違いです。
 たとえば、いくら強いお相撲さんでも、マラソンを走らせたらうまくいきませんね。逆の場合も同じです。ここで、どちらがすぐれているか、と比べても意味がない。能力の種類が違うのです。
 どんな人でも、自分が今やっているよりもすごい能力を持っています。ただ、それは自分では分かりません。子供の時から「だめだ、だめだ」と言われていると、どんな能力のある人も自信をなくしてしまう。逆に、たまたま試験でいい点数を取ったのがきっかけで、大きな自信を持つ人もいます。「オレにできないことがあるか」と、自分の力で物事をどんどん追究し、実力を発揮する。人を育てるとは、こういう隠された能力を使う機会を与えることです。
 また、部下の失敗を責めてはいけません。人間は、失敗からしか学べない。新しい能力は、失敗を重ねる中で成長するのです。失敗を気にするな、責任は自分にチャレンジさせる。その中で、何をやればいいのか、何に向いているかが分かるようになるわけです。こういったことが、経営者の仕事だと思います。
社員が「知」を出し合う会社こそ最強
 産業社会では、会社側が「生産設備」を用意し、「材料」を仕入れ、「労働者」を雇用して、商品を作り販売します。では、建築CADなどのソフトを作る福井コンピュータにとって、「材料」とは何か。それは、社員の頭から出てくる「知」です。
 この材料は、いくら使ってもなくならず、使うほどグレードが上がります。しかも、特許などになっていない限り、盗んでも罪にならない。私はいつも社員に言っております。「いいものがあれば、どこの国でも行ってもらって来なさい」。そういう大胆なことができる会社が、この厳しい時代を生き残れると思います。
 「知」は、出せといわれて出せるものではありません。社員から自発的に「知」を提供してもらうために、一人ひとりにコンピュータや携帯電話を与えるのは、もう常識です。また、会社と社員が、喜びも苦しみも目的も覚悟も共有する環境を作っていかないといけない。そうすると、労使関係も変わってきます。そういう視点があるかどうかで、その会社の将来が決まるのではないかと思います。
 最後に、ひとつ宣伝をさせていただきます。実は、昨年3月に、『ワンマンだからできた全員経営』(中経出版)という本を出版いたしました。今日のお話と関係のある話とか、学校を出ていない私の生い立ちなどが書かれていますので、手にとっていただければと思います。今日はどうもありがとうございました。
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